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「遠くない昔」―77年前の12月8日について①

「遠くない昔」―77年前の12月8日について

①なぜミレニアル世代が「世界大戦」なのか

2018.12.8 in my favorite cafe called Cafe NERO in London

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12月8日、

といえば何の日でしょうか。街はイルミネーションがきらめき、大学生は冬休み前の課題に追われ、私も例外ではありません。師走という言葉がぴったりですね。

もう一つ。今日は、今から77年前、ハワイの真珠湾とマレー沖で太平洋戦争が開戦した日です。

私はいわゆるミリオタでもなければ、国会の前でデモをしたこともありません。ただ「遠くない昔」にある教訓を得た国に生まれ育ち、その時代を生き抜いた世代の孫として、戦争の記録・記憶に関心を抱いてきました。このテーマについてあまりにも書きたいことが沢山あるので、3回に分けたいと思います。今日はまた少しパーソナルな内容になってしまいますが、どうか最後までお付き合いいただけると嬉しいです。

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①なぜミレニアル世代が「世界大戦」なのか

 

今から13年前、小学4年生。こんな宿題がでました。「おじいさんかおばあさんから戦争のはなしを聞いてくること」。戦後60周年の夏、蝉の声にさえぎられ、きーんと冷えた麦茶を飲みながら、はじめて祖母が「被爆者」であったことを聞きました。祖母は当時12歳。長崎市の爆心地から2キロほどのところに住んでいました。今でも祖母は、不気味に光った雲の紫色や、爆風で壁に突き刺さったガラスの破片、重傷を負った隣人の姿を鮮明に覚えています。それでも爆心地と祖母の家の間にあった小さな山の存在が、祖母と家族の命を救いました。

 

戦後、祖母は商社に勤める祖父と結婚し、まったく英語ができない状態で渡米。異国の地でほとんど誰の力も借りず、私の母を含む3人の子供を育てあげました。84歳になる今でも英語が堪能で、世界中を旅した思い出を語ってくれる、たくましい 'グランマ(私たち姉弟はそう呼んでいます)'です。

 

アメリカとの戦争で傷つきながら、日米をまたにかけた人生を送ってきた祖母。まさに、戦後に出来上がったバランス感覚を体現した人でもあります。私は祖母の口から、特定の国を批判するような言葉を「一度も」聞いたことがありません。

 

そんな夏休みの宿題以来、「戦争」について知ることに一種の執着心を抱いてきました。中学の終わりに加藤陽子先生の名著「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」に出会い、高校の頃は長崎・広島・沖縄などを訪れました。

 

大学では都倉武之先生のゼミで近代日本史・メディア史を学んできました。2年間かけて「陸軍中野学校の虚像と実像」をテーマに聞き書きをおこない、共同論文を書きました。多く語られてこなかった歴史の一事実に迫る、稀有な体験でした。

 

奇しくも留学先のヨーロッパは今年、第一次世界大戦終戦100年を迎えています。授業では 'Conflict and Commemoration(対立と追悼)' をテーマに、第一次世界大戦を様々な国や社会階層の尺度から捉え議論しています。

 

「将来役立たなそう」「なぜそんなに興味持っているの」等と疑問を持たれたことも、自問したこともありました。しかし、それでも私が知りたい理由は3つ。

①あの時代について、まだよくわかっていないことは沢山ある

②私たちの世代は、実体験者を家族にもつ最後の世代である

③人は、時代と空間を超えて同じ過ちを繰り返す

ということ。だからこそミレニアル世代にあたる私たちの世代が、「遠くない昔」に今向き合うことは意味があることだと感じます。向き合う必要があるのは、「被害」の側面だけではなく、捨象されがちな「加害」の側面も同様だと思います。

 

これは自分の「ライフワーク」として、「しごと」とは別の軸に位置付けたいと思っています。他国を訪れる際にはその国の歴史に目を向け、国内でも話を聞かせてくださる方のもとに足を運び、それを極力発信するようなことを続けていきたいです。

 

読んでくださった方のなかで一人でも、この「漠然とした使命感」に共感してくださる方がいたら嬉しいです。勿論、違う見方があれば聞かせていただきたいです。最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

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